10月21日は福岡高裁で「石木ダム工事差止訴訟控訴審」の判決が出されました。原告は工事を阻止する座り込みを継続しているため、岩本さん一人でしたが、裁判には福岡市を中心に支援者が80名を超える参加でした。判決は棄却。判決の理由について説明もなくわずか数分でした。
公判後の集会では判決内容について弁護団より解説がありました。控訴審でも第1審同様に利水や治水については事業認定差し止め訴訟などで審理すべき事で、工事差し止め訴訟で審理するものではないとしています。川棚側は100年に1度大雨で流量が1400㎥/秒を超えると氾濫するとしていました。ところが、今年8月の大雨で川棚川流域では通算1000ミリを超える雨が降り、川の流量は1700㎥/秒でしたが氾濫していません。その事実をもって審理を再開するよう申し立てていましたが、無視されました。100年に1度の大雨でも雨の降り方がいろいろあるといっているのですが、氾濫する雨の降り方は数百年に1度と言うことになり、数百年に1度の洪水を起こすと言うことを想定したダムは必要あるのか、ないと馬柰木弁護士は述べています。
静穏な暮らしをする権利などの人格権を基に差し止め訴訟をしてきましたが、人格権は主観的な問題であり、不明瞭なので権利生がないとして却下しています。ただし、一審では触れていなかった、昭和47年7が29日に川棚町長立ち会いで長崎県知事と住民三郷との「住民の理解を得ないと着工しない」旨の協定書、および川棚町長と住民三郷との「住民が納得しないで着工した場合には町は住民とともに闘う」という協定書に触れ、「県は住民に理解が得られるよう努力する必要がある」と述べています。しかし、協定書があることをもって判決を左右するわけではないとしています。馬柰木弁護士は、ここで受忍限度論が主張されていますが、受忍限度論はまず我慢を権利がある者に求め、その権利の重さと公益との重さと比較して、社会的な公益が勝れば我慢を求めるというおかしな論理だといっています。これまでの公害裁判で原告側は命が第一であり、社会的利益との比較はできないと言うことで勝ってきましたが、いまこれまでの命が一番という積み重ねが崩されているといっています。生活している原告を追い出そうとしていますが、生活する権利と比較すべき社会的な利益が何かをきちんと審理せずに判決を出すことは許されないと説明しました。
弁護団の説明では、以上のことから、控訴審は一審を追認するものであるが、協定書によって県に説明の努力を諭すものと解されるとのことです。しかし、そうであれば県は説明を尽くし、他に方法がない事を示すよう判決に明確に書くべきでした。今後として最高裁に上告する予定です。石木ダムを建設させない闘いが継続されなければ裁判には勝てない、県の裁量でダム建設することを認めているなら知事を変えることが一番早い、いずれにしても裁判で物事に決着がつくことはなく、裁判は住民の結集軸であり、住民の運動が裁判所の判断を動かすと馬柰木弁護士が力説しています。
原さんから、馬柰木弁護士との話から「石木ダム監視団」を作り、石木ダムの監視運動を続け、原告の運動を見守り、行政を監視し、建設を断念させることが訴えられました。まずは現地に行って現場を見る、監視していることを県に分からせることが提案されました。
連絡先 原 豊典
福岡市早良区西新3-12-6-205
電話090-5286-5653