都市論としての人工島(その1)

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 今回の吉田市長の人工島事業推進の結論が最終的に出されれた。①港湾事業は従来通り進める、②埋立は推進する、③こども病院は人工島に移転、ただし市民病院の統合移転は審議会に諮問して結果を示す、というものです。その理由は「埋立を続けなければこれまでの費用は回収できない」ということです。何を検証・検討したのでしょうか。まさに哲学の貧困を象徴するものです。「福岡は歴史、文化、自然に恵まれている」と多くの市民は感じ、そう信じています。私も歴史も文化、自然に恵まれていると思います。しかし、果たして福岡市は歴史や文化や自然を生かしてきたと言えるでしょうか。その象徴が人工島であり、今回の吉田市長の結論です。哲学がない都市として、ますます貧困・貧素な街に突き進もうとしています。

 人工島事業が始まった1989年の港湾計画以来、福岡市の政治課題の中心であり、街づくりの象徴であり、福岡市のあり方が問われ続けてきました。1989年はバブルが最高潮に達していた時期であり、戸建て住宅の平均単価1億2千万円という異常な状況に象徴されるように、百道浜の埋立地は計画以上に速いスピードで処分ができました。バブルが崩壊すると同時に、事業計画は次々と狂いが生じてきました。ツインドーム計画の破綻、ダイエーの凋落、サイエンスパークの事業進捗の遅れと計画縮小、中学校用地の塩漬けなどバブルのあだ花の様相を呈していました。

 このような状況の中で人工島計画は進められ、12万人の人工島計画反対署名など多くの市民の批判を受け、また国内外の自然保護団体の批判を受ける中で、人工島事業は強行されました。バブルの夢を見ていつかは景気が回復し、従来通り土地処分ができという発想には、「福岡市の歴史や文化や自然を活かした将来像」というものはなく、「開発することによる都市膨張が善である」という思想・信仰しかありませんでした。その「開発という蜜」に多くのものが「蜜」を求めて集まり、多くの事件を引き起こしてきました。

 地下鉄建設にまつわる「自民党パーティ券事件」、この事件では交通事業管理者が自殺するという痛ましい事態が起こりました。「木山総務企画局長の贈収賄事件」、この事件の中で「木山詣で」が明らかになりました。「ケヤキ・庭石事件」、元助役であり事件当時の博多港開発社長の志岐氏は職員時代から「はぐくみ料」をもらっていたことが明らかになっています。また、西田藤二元市議会議員は自己の会社を使ってケヤキ・庭石を転がして4億円もの不当な利益を得、また地位を利用して様々なものを福岡市に売りつけていたことが明らかとなっています。志岐元社長による人工島の土砂搬入に絡む福岡地所への便宜供与疑惑、山崎前市長による福岡地所へのマリノアの駐車場をめぐる便宜供与疑惑、そして、福岡銀行を幹事社とする博多港開発への融資銀行団に対する山崎前市長の「銀行には損はさせない」という念書と具体的な損失保証の密約、そこには市民の姿は全く見えてきません。

 昨年の市長選で市民が求めたものは何だったのでしょうか。オリンピック招致をし、中央埠頭の再開発を進めようとした山崎前市長に、7割を超える市民が「NO!」を突きつけました。市長選挙では「人工島の見直し」が争点となりました。市民は「人工島事業にこれ以上無駄な是金を使うことは止めて、市民のために税金を使って欲しい」と言う思いで一票を投じたのです。しかし、市長は「人工島見直し」を公約したにも関わらず、市民への答えは「これまで来た事業は止められない。今更海に戻せるのか。」というものです。なんとお粗末なもではないでしょうか。山崎前市長は「引き返す勇気を持って見直す」と公約し、「当初から毛増の考えであった」といっています。そして吉田市長も同様に「人工島計画の必要性が市民に理解されたいない。」として検証・検討を行い、当初から事業推進を前提に「儀式」を行ってきたのです。そこには誰も責任を取ろうとしない、そして市民をないがしろにした市政が重なって見えてきます。この度重なる「福岡市の不幸」をどう断ち切ることができるのでしょうか。