2006年5月15日(月)~17日(水)
15日(月):青森市 中心市街地活性化の取り組み(コンパクトシティ)
16日(火):奥州市 民間による中心市街地活性化の取り組み(黒船)
17日(水):会津若松市 歴史的遺産を生かした中心市街地活性化の取り組み
15日(水)青森市
1、コンパクトシティへの政策転換
高度成長期を経、核家族化が進み、1970年代から中心市街地から郊外への転出が始まり市街地の空洞化が進んだ。低密度の市街地が拡大する事で、行政コストがかかるようになった。都市政策の転換が図られた1970年と2000年との比較では、新たな道路敷設に83.7億円、小中学校建設に67.4億円、上水道40.6億円。下水道156.8億円、計348.5億円の経費が生じたとしている。更に、青森市は豪雪地帯で、年間の除雪は30億円から35億円かかっており、大きな財政負担となっている。このような経緯の中で、平成元年に新市長が都市の成長管理政策を提起し、コンパクトな都市作りを始めた。少子高齢化社会の進行と人口減少が始まり、より効率的に行政サービスを行うために、機能的な市街地形成と魅力ある市街地形成を進めることとした。
具体的には都市を3つのエリアに分け、昭和45年までに市街地化していた部分をインナー地区、その周辺部と外環状道路の間をミッド地区、外環状道路より郊外部をアウター地区とし、地域の特性に合わせた都市整備を進めている。インナー地区には集中的に投資を行い整備をする。中心市街地のにぎわいをつくり、商業の活性化と雇用を図る。また、中心市街での住宅供給を進め、市街地の居住人口を増やし、効率的な行政サービスを行う。ミッド地区は市街地の開発圧力の緩衝地帯として、計画的に良質な住宅開発を行う。アウター地区は基本的には開発抑制地区とし、自然環境保全との業進行を図る。
持続可能な都市にするために、都市の成長管理と中心市街地の活性化がセットで進められてきた。中心市街地に商業施設や住宅が集積する事で、除雪エリアの効率化や、行政施設の集約、良質で効率的な行政サービスを目指している。
2、中心市街地活性化の取り組み
コンパクトシティを形成するためには、中心市街地における住環境の整備と中心市街地の魅力をつくる必要がある。ドーナツ化現象の解消、郊外型大型店の出店規制、同時に中心市街地のにぎわいをどうつくるかが課題である。平成10年の「中心市街地の整備改善および商業等の一体的推進に関する法律」が施行され、「青森中心市街地活性基本計画」を策定した。この計画にも基づき事業が進められている。にぎわい創出の仕掛けとしてアウガの建設とパサージュ広場の開設、街中居住の推進として街のバリアフリー化と医療施設・福祉施設と住宅の合築、駅前を起点としたバス交通網の整備をすすめている。
1)アウガ(複合施設)
アウガは1~4階までは商業施設、6~9階は図書館、5~6階は男女共同参画プラザ、6階に子育て支援施設「青森市つどいの広場(通称タンポポ)」および青森公立大学「まちなかラボ」がある複合施設である。図書館は地殻で買い物した後に寄れるよう、駐車場から直接移動でき、また図書館内に冷蔵庫のロッカーも設置されている。また、図書館にはCDやDVD,ビデオの貸し出しもあり、若者の利用も多い。タンポポは商店街が市から委託して運営しており、商店街の取り組みと連動しているようである。
アウガを公的施設と商業施設の符号施設にした事で、人の流れが増えているという。日経新聞によれば、アウガは2005年度決算は25億円の黒字という事で、事業は順調のようである。しかし、地元デパート2軒の内一軒が倒産し、その周辺は空き店舗が出ているという事である。デパートの跡地は現在マンションが建設中であった。アウガ周辺の駅前通は人通りがあるが、少し離れた通りは矢張り人通りが少ない。
2)パサージュ(小径)広場
青森市は明治以降、青函連絡船を軸とした交通結節点として、また県庁所在地として発展した都市である。そのため、第3次産業が77%、第2次産業が20%、第1次産業は3%(平成12年国勢調査)となっている。明治以降にできた都市であるため、津軽藩の藩都であった弘前市と違い歴史的遺産が少ない。明治以降の建物も第2次世界大戦ですべ焦土とかし、歴史的な遺産はない。
そこで新たな中心市街地での回遊性を高める仕掛けとして、路地裏の意外性を創出するパサージュ広場の企画を始めた。駅前通の店舗跡地を市が購入し、表通りから裏通りへ抜ける通路と広場を造り、その両側に小規模な点簿を設置した。管理運営はNPOに委託している。飲食系7店舗、物品販売系5店舗が設置され、起業家を支援する施設としている。18歳以上であれば誰でも応募できる。利用料金は5千円~7千円/坪、契約期間は飲食系は3年、物品販売系は1年となっている。昨年までの状況は、出展者の約5割は操業しているが、年々操業膣は下がっているようだという事である。現在、隣接する店舗跡地を購入しホテルを建設しているが、パサージュ広場に面する部分はオープンカフェなどを計画している。将来面的広がりを想定しているが、現状ではまだ展開できていない。福岡市の大名地区とは異なり、歴史性がないため路地裏の魅力に欠ける事が大きいという事であるが、今後路地裏の魅力を作り出せるかが課題である。
まとめ
少子高齢化社会の進行と人口減少が始まり、持続可能な都市をどう造るかが課題である。青森市は都市の成長管理と中心市街地の活性化進め、市街地への住居と商業施設の集積を進め、住環境の整備、にぎわいの創出、雇用の確保、自然環境の保全、行政サービスの効率化を図っている事が見えた。今後地方財政は厳しい状況が続き、経済状況も大きく変わる中で、持続可能な都市政策としてのコンパクトシティ構想は、福岡市でも検証する必要がある。
16日(火)奥州市
奥州市では、旧江刺市中心街の活性化に取り組む(株)黒船を視察した。
1、黒船設立の経緯
黒船スクエアの近くには「えさし藤原の郷」という旧奥州藤原氏の史跡があり、年間30万人が訪れているが、中心市街地にはほとんど人の往来はない状況であった。江刺市、商工会議所、県商工労働観光部、中町商店街関係者で長浜市を視察に行き、街のシンボルが消えることを危惧した市民有志によって作られた株式会社黒壁のガラス工芸館を軸にした街おこし事業をみて、江刺市において取り崩されている土蔵を保全し、土蔵を生かした中心市街地の活性化を取り組むことにした。
株式会社黒船は旧江崎市中心市街地の活性化を目的に、20~40代の若手経営者の11人によって平成9年に設立された。江刺の原風景をを取り戻し、江差の自然と江刺の民族的文化を取り戻し、それを街の活性化にしていく構想を持っている。江刺市の中心街は人首川(ひとかべかわ)の物流の拠点として船着き場を中心に商業で栄えてきた。そのため多くの土蔵が残っており、土蔵を生かした街並みの復元を進めている。まず核になる施設として、滋賀県長浜市の地域活性化の実績を持つ株式会社黒壁の支援を受け、ガラス館とガラス工房を平成10年に立ち上げ、これを核に旧江崎市中心街に残されている土蔵を生かした地域興しを進めている。
2、黒船スクエアの現状
当初から民間100%で事業を始めた。行政の支援を受けているが、若手経営者の情熱で何とか支えられているのが現状のようである。県と旧江崎市から魅力ある商店街整備事業費の補助1千万円により、土蔵の移設・改修がなされた。また、旧江刺市の事業でエリア内道路のカラー舗装が行われ、また旧江刺市が現在土蔵を改築してレストランを建設し事業を黒船に委託させる支援がなされているが、積極的な支援はそれほどなされていない。現在、エリア中心部の中町商店街が景観協定を結び土蔵造りの街並みを形成しており、景観形成は点から面への広がりつつある。また、路地裏通りの整備による魅力アップに取り組んでいる。現在年間10万にの観光客が訪れるようになったが、今後さらに発展するためには、エリアの拡大と回遊性、黒船スクエアの売りとなるものを育てることが必要と思われる。ガラス館を中心に、ガラス工房、オルゴール館を中心にエリアを視察したが、土蔵が数多く残っており、かっての商人の街が思い起こされる。家並みの整備が進めば、魅力がアップすると感じた。
3、課題
黒船の課題は、①残された数多くの土蔵を保存し、活用していくための資金が必要であること、②「えさし藤原の郷」との回遊性を作る、③東北新幹線との交通アクセスが悪いこと、④大型バスなどの観光客誘致の施設が整っていない、⑤温泉施設など観光客が宿泊できる施設の整備が期待される。そのためには、行政のバックアップがもう少し必要と思われた。
まとめ
黒船は若手経営者の熱い思いでここまで街づくりがすすんできた。江刺の原風景を復元させ、安らぎを与える街として土蔵という残されている資源を生かす工夫がなされている。
しかし、市長谷局的な評価をしているとは思えなかった。民間の活力をもっと生かすために、市の政策として位置づけ支援することで、中心市街地の活性化と、雇用創出につなげることができると感じたが、話を聞く限りでは必ずしも市の支援は十分とは思えなかった。
福岡市において、歴史的遺産がどのように活用されているのか、また将来の街並み形成にどれだけ思慮されているのかを振り返ったとき、残念ながら生かされていないと感じざるを得ない。長浜市の「黒壁」、旧江刺市の「黒船」のように、街づくりに熱い思いを持つ市民を掘り起こし、市民の視点で、市民の力で街何形成を進める必要がある。従来の再開発による金太郎飴的な街づくりはやめて、市内エリアの歴史と文化を生かした街にしなければ、福岡市もいずれ元気がなくなると思われる。
17日(水):会津若松市
会津若松市の中心市街地活性化の取り組み、特に七日町通りの事例について調査した。
1、中心市街地活性化の経緯
会津若松市は、県国大名によって形成されてきた城下町で、五街道が交差する交通の要所として発展してきた。近年、人口の郊外への移転と相次ぐ大型店の倒産により、中心市街地の空洞化が進んでいる。観光客も平成四年の381万人ピークに減少し続ける状況であった。
市として、平成元年に商工会議所とともに「会津若松市商業近代化計画」策定、平成4年に「会津若松市景観条例」制定、その後街づくり団体が商店街・地区単位で作られ始められた。平成7年、地元に帰ってきた3人の市民が七日町通りに人通りがない現状を見て、白壁づくりの家並みを生かした街並み再生を提起した。これを機に旧七日町街並み協定が結ばれ、その後次々と景観協定を結ぶ地区が増え、現在は8地区が景観協定を結んでいる。中心市街地では街並みの近代化が進められたが、後継者がいないこと、また十分に資産を持っており、郊外へ住居をいてしているなどの状況があり、白壁づくりの家に表面だけを改装した商店が多く、このことが歴史的遺産として白壁づくりが残る皮肉な結果となった。
平成8年3月、には「会津浪漫調の新しい街づくり~七日町商店街活性化計画~」が七日町通りまちなみ協議会で策定された。4月には青年会議所、商工会議所青年部、大学教員、行政職員で「まちづくり研究会」が発足した。七日町取りではこの年から景観条例の補助制度を活用して景観集計が始まった。翌平成9年には「まちづくり研究会」の呼びかけで「まちづくりネットワーク協議会」が結成され、その後「会津まちづくり会社」設立準備を進め、平成10年の「中心市街地活性化法」が施工されたことを受けて「株式会社まちづくり会津」が平成10年7月31日に設立した。会津若松市の出資は当初200万円6.42%、現在2915万円50.0%である。
平成11年には「会津若松中心市街地活性化基本企画」および「中小小売商高度化事業構想(TMO構想)」を策定、(株)まちづくり会津がTMOとして認定された。平成13年には「七日町テナントミックス計画」がTMO計画として認定され、翌年旧病院施設を「大正浪漫調」の外観を修景し、昭和30年代までの日用生活品の展示、販売を行う観光施設「アイバッセ」としてオープン。現在七日町では40施設が集計して街並みを形成している。平成15年には「会津若松市中心市街地活性化基本計画」を改訂、TMO事業をバックアップしている。
2、中心市街地活性化の現状
ドーナツ化が進み、大型店舗の倒産も相まって、市街地が衰退していった。近くの温泉地や武家屋敷、鶴ヶ城趾には観光客が来るが、中心市街地にはほとんどこない状況であった。七日町通りの3人の市民の呼びかけで、白壁づくりの歴史的景観を持つ街並み形成を始め、市街地観光を進めてきた。その結果、周辺の観光地の客は減っているが、七日町通り母平成8年の取り組みが始まるまではほとんど人通りがなかったが、街並み形成は進んだ平成13年頃には1に日1500人程度の人通りとなっている。野口英世青春通りも野口英世が育った関連の歴史的景観を生かした取り組みにより減りかけた人通りは回復している。しかし、メインストリートの明神通りの従来型の商店街では、平日の人通りは回復傾向にあるが、休日は減りづけている。このことは、歴史的景観を生かした街中観光という点では成功しているといえる。
(株)まちづくり会津は街中観光を推進するために、ボンネットバス「ハイカラさん」を運行してきた。採算がとれる状況になり、今年度から民間事業者が運行している。
会津若松市では、中心市街地活性化対策として、歴史的景観による街な観光と同時に、中心市街地の居住環境を整備し、中心市街地居住を誘導している。中心市街地の衰退で地価が下落し、地価下落により大手スーパーの跡地がマンションとして開発される、中心市街地への人口移動の兆しがでている。市も福祉施設や子育て支援施設、医療施設ななどと住居との複合施設の建設を支援している。また、中心市街地周辺部での開発を抑制し、中心市街地への投資を集中するコンパクトシティの形成を考えている。そのことが、明神通りの平日の人通りが回復しつつあることに伺える。
3、課題
七日町通りは歴史的景観の整備が進んでいるが、問題は国道がエリアの中心部を通っているため、自動車交通を排除できない、また歩道も狭く回遊性が形成しにくい環境にあることである。車を排除し、自転車と歩行者の空間をつくなければ街中観光は発展しないと思われる。国道をどうするか検討する余地が大きい。
道路が整備され、商圏そのもの小さくなっており、コンパクトシティを形成しなければ、中心市街地の活性化や効用は海させない。福島県では大規模店の出店規制をする条例を作っており、県条例の運用と併せて中心市街地の住環境整備を進めていく必要がある。
まとめ
会津若松市の中心市街地に残されている歴史的景観や遺産を活用した街中観光の取り組みは、福岡市における大名地区、、春吉地区、御供所地区、冷泉地区などの街並み形成と街中観光の形成に大いに参考になる。市内の地区のと特性に合わせた街並み形成と街中観光、そして香椎地区、西新地区、姪浜地区、大橋地区などでのコンパクトシティ形成に学ぶべきものがあった。