磯崎氏の「博多湾を五輪会場に」は利権がらみの大規模開発
山崎市長は磯崎氏に制作総指揮者を依頼した。このことは何を意味するのか、以下、問題点を指摘する。
1、磯崎氏に「2016年五輪」の制作総指揮者にしたことは福岡市は具体的計画がないままに五輪招致を表明し、磯崎氏に丸投げをしたことを意味する。要はオリンピック招致ありきで、財政問題や都市経営をどうするのか全く考えてなかったことの表れである。
2、未だに会期簿、開催構想、また総事業費および市の負担について何も説明が出来ないままに招致を進めており、市民および議会に対する説明責任を果たしていない。今回の磯崎氏への施策総合指揮者を依頼したことは、市民意説明でき状況にないことを意味している。説明できないままに招致を進めることまさに市民および議会を無視している。
3、市長は招致するだけではお金がかからないと言っていたが既に4900万円を支出しており、これには人件費等は含まれていない。ま更に06年度予算に1億数千万円の招致関連予算を上程することは市長の責任が問われる。処置するだけでもお金がかかるのは当たり前で、さに市民を欺くものである。
4、磯崎氏の構想は他の開催都市はバルセロナを除いてオリンピック後に施設をもてあましている、オリンピック後も使える施設を作るとしている。しかし、これは何を意味するのか。ユニバーシアードに作った施設は維持管理費が大きな負担となっており、福岡市は公共施設の維持管理に年間100億円を超え、財政上大きな負担となっており、これ以上箱物は作らないとしてきた。このこととの整合性をどう取るのか。
5、磯崎氏の「博多湾を五輪会場に」という構想はまさに埠頭部の大規模開発を意味するものである。埠頭部分に7万に規模のメインスタジアムや競技場、選手村を作るといわれているが、多額の費用をどうするのか。民活を進めるとしているが、多くの税金が投入されることは明らかであり、まさに利権が群がる構造である。コンパクトな開催ということとの整合性はどうのように考えるのか。何のためのオリンピック招致なのか、まさに土建業者、デベロッパー、銀行などによる公共事業に群がる構造が見えてくる。これがオリンピックのあり方を変えるということなのか。
以上のことから、オリンピック招致は利権の州であり、市民のためにはならないことは明らかである。磯崎氏の考えそのもに本質的な問題が内在している。