長崎県川棚町川棚川の支流石木川の川原地区にダムが造られる計画が進められています。石木ダムの計画が持ち上がったのは昭和37年(1962年)でした。当時日本各地で工業団地造成が進められ、長崎県でも佐世保市に工場団地計画され、その給水源として石木ダムが計画されました。昭和47年(1972年)に調査が始まり、昭和50年(1975年)に事業が採択されました。今からおよそ50年も前に計画されたものなのです。その後の経済状況や産業構造は大きく変わり、佐世保市の工場団地の計画が破綻したにもかかわらず、当初からダム建設に反対する川原地住民の声を無視して長崎県は計画を見直ししようとしてきませんでした。
長崎県は工場団地造成計画が破綻したにもかかわらず、佐世保市の給水需要が今後とも伸びつつけるという非現実的な理由と、新たに川棚川下流域の洪水対策を挙げ、石木ダム建設を進めています。しかし、超高齢社会を迎え、人口は減少しており、また節水用具も普及するなど佐世保市の水道水給水量は今後更に減少していくことは確実です。佐世保市の水供給実績を見ても減少し続けており石木ダムは必要ありません。また、洪水問題を挙げていますが、石木川は川棚川の支流で流域面積は川棚川の流域面積の11%でしかなく洪水対策にはほとんど役立ちません。また川棚川下流域の洪水対策には内水面排水がなされることが必要であり、河川堤防の整備と川棚川河口の拡張・浚渫で対応できます。現在、川棚川河口では拡幅の工事がなされており、益々ダム建設の必要は無くなっています。
諫早湾干拓事業では、目的を失ったにもかかわらず一度決めた計画は変更しないという開発事業に絡む利権によって、豊な自然が破壊され、そこに住む住民の人間関係は引き裂かれ、漁業者の生活が奪われてきました。石木ダム建設予定地の川棚町川原地区では今なお同様な理不尽な行政が進められています。昨年5月に長崎県土地収用委員会は強制代執行を認め、9月に収容期日がきて川原地区住民の土地や建物の権利が奪われました。住民と県との協議で県は土地収用実施を3年延期するとしていますが、ダム本体建設に向けた道路建設などは進められています。子どもたちを含めて50名以上の住民は、ふるさとを離れたくない、離れる理由はないとの思いで、川原地区で生活を続け、理不尽な長崎県と闘いを続けています。川原地区の豊かな自然と住み続けてきた生活を守る為に、ダム建設をやめるよう県との交渉と事業差し止めに関する訴訟を起こしています。
川原地区住民の闘いを支援し、長崎県に地方自治の本旨である「住民の福祉の増進を図る」行政に立ち戻り、直ちに計画中止を求めます。