2012年5月15日(火) 松山市
午前 松山国土交通省河川国道事務所
目的 自転車歩行道での自転車一方通行推奨社会実験についての調査
1、社会実験の概要
実験についてはこれまで、松山自転車活用推進協議会として学習会を重ね、国土交通省の社会実験公募に募集し、国土交通省に採択され行われた。松山自転車活用推進協議会はNPOまちづくり支援えひめ」、東京大学、愛媛大学、国土交通省河川道路事務所、愛媛県警、松山市、伊予鉄道、大街道商店街振興組合、大街道3丁目まちづくり委員会、えひめはイヤー/タクシー協会で構成される。
実験は歩道における一方通行を推奨し、自転車の一方通行による歩行者のの安全を図るというものである。道路交通法上自転車は軽車両であり、原則車道を他の交通車両と同じ方向に走行しなければいけない。歩道に自転車利用が許可されている場合ないし危険な場合は自転車は歩道を通行して良いことになっている。歩道を走行するときには時速5km以内とされている。一方通行を推奨するという理由は、道路交通法上自転車が歩道を通行する場合は走行方向に定めがなく、双方向に走行できることになっていることにある。
実験は県庁前のとおり約880mを対象に2012年1月20日~2月20日までの1ヶ月間。実験内容は舗道上の車道側及び車道上の路肩の白線の車道側に一方通行を示すシールを設置、車道内横断歩道の停止線前に逆そう禁止のシールを設置し、自転車走行の一方通行を推奨する。実験に際して実験を知らせるチラシを近隣の地区6万5千戸にリビング松山で織り込み配布、行政機関、近隣商店街、近隣中学校、高校、大学、タクシーやバス、トラックなどの業界、街頭などで計8万1千枚が配布された。また報道各社も実験を取り上げて報道し周知された。チラシの内容は自転車走行に関し、交差点での対応や車道での対応、走行のマナーについて具体的な注意が書かれてある。実験中には指導員や警察が立ち会い指導がなされた。
2、実験結果
実験全、実験開始直後、実験中、実験後の調査では、実験前は6割しか車道と同じ方向に走行していなかったものが実験が始まると車道と同じ方向に走行する自転車が9割以上に増えた。実験終了後の調査では87%の自転車が順方向に走行している結果となった。
歩行者の意識調査では実験により一方通行が増えたことで安全になったと感じた人が13%増、自転車利用者が21%増、それぞれ約7割の人が安全と感じている。全体として安全になったと感じていると言える。また、実験を今後も継続しても良いと答えた人は歩行者で7割、自転車利用者は6割、他の交通手段の人たちを併せると全体で65%の人が計ぞしてよいと答えている。以上の結果から自転車一方通行は舗道上の安全確保に有効であるといえる。なお、実験期間中は自転車による事故はなかった。
3、今後の課題
実験により、一方通行についての意識は定着したと言える。国土交通省では今回の成果を生かして自転車の一方通行を定着させるために車道上に一方通行の表示を設置するとしている。歩道部分は実験で設置したシールははげるまではそのままにしておくと言うことであるが、その後は設置予定はない。また、一方通行推奨のエリアを拡大することについては未定であるが、自転車道ネットワーク形成の検討の中で検討するとのことであった。
まとめ
今回の調査結果は、車道ないしは歩道に十分幅員がなく道路において、一方通行をすることで歩行者の安全の向上及び事故を防ぐことに役立つ言える。課題は①初期の動機付けの取り組みをどのようにするか、②道路交通法上一方通行は強要できないため推奨にしかならないこと、③舗道上に一方通行を促す表示をすることが出来ないことにある。舗道上の安全確保するためにはこれらの課題克服に向けての検討が必要と思われる。
午後 松山市
目的 水道事業の民営化について
1、松山市が水道事業民営化を進めてきた経緯
1994年(平成6年)の大渇水を受け水源に乏しい松山市として節水に取り組んだ。その結果水道事業の収益が悪化し、1996年(平成8年)水道料金の値上げを行った。この値上げで市民から節水に取り組んだ結果が値上げななのかという批判で、2001年(平成13年)に値上げを行ったときに市長が節水による収益悪化を水道料金に反映させてはいけないとし、翌年2002年(平成14年)に企業経営基盤改革をたて、2003年(平成15年)浄水場の民間委託の契約内容、仕様書の評価、人員配置の検討を行い、事業者選定を行った。2006年(平成16年)から民間委託は段階的に進められた。2004年(平成16年)~2006年(平成18年)年の3年の契約では垣生系(垣生浄水場、水源18ヶ所ポンプ場1ヶ所、配水池3ヶ所)の運転管理と設備・施設の維持管理を全面委託,2005年(平成17年)からい市之井系(市井浄水場で竹原浄水場、院内浄水場、水源85ヶ所、ポンプ場13ヶ所、配水池46ヶ所等は全て集中管理している)の運転管理を2年契約で委託、2007年(平成19年)~2011年(平成23年)まで5年の契約で垣生系の運転借りと維持管理、市之井系の運転管理を委託、2012年(平成24年には垣生系及び市之井系の運転管理と維持管理を全て民間委託した。
2、民間委託の範囲
民間委託の範囲は浄水事業についてである。浄水事業以外の配管等の管理は別部署の業務となっている。運転管理業務は浄水場にて施設の運転管理、監視・制御、維持管理は①点検整備(施設設備の日常点検・定期点検、保守作業)、②異常対応(異常や交渉時に現地に出動し初期対応を行う)、③故障修理等(故障修理を行う、少額の工事とし限度額を設定)となっている。松山市の水源は表流水の水源は2ヶ所で、その他は地下水及び伏流水となっている。浄水施設の民間委託を始める前から水道水源については自動化し、垣生系以外は全て市之井浄水場で一元管理をするシステムになっている。水道水の水源として、表流水と地下水及び伏流水の割合は約半々となっている。
浄水部門は民間委託によって職員数は28名から7名に削減している。7名の職員が残っているのは水量及び水圧等の基本的な計画及び管理(計画の運用は一定の幅で受託者が判断)、委託対象外の島嶼部の簡易水道の維持・管理業務及び水質検査業務が残っているため。また、軽微の事故の初期対応は委託業務となっているが重大事故の対応は市が行う。
3、入札について
入札はプロポーザル方式で行われた。これまで事業を委託されていた事業者は落札できず、新たな事業者になった。選定委員の選定の大きな理由は2点で、1点は既契約事業者はこれまで経験を積んできた点は評価できるがこれまでの経験に加えて新たな改善をする意欲が感じられなかったこと、新規事業は改善の意欲が感じられたと言うことであった。2点目は価格の点である。評価基準は職員が作成するが、評価は外部3名、市責任者2名で構成される評価委員会で選定される。評価の最低基準を満たない事業者は選定されないとしている。
まとめ
新しく委託事業者が変わったが現時点では問題は起こっていないとのことである。委託することでの職員の技術レベルが低下することについて、新たな業務として管理能力が付けば問題ないとしている。また委託の範囲が再委託について禁止していない点は、再委託について必ず同意を得ることとしている。しかし、企業は営利を追求しており、同じ設備で契約金額が下がると言うことは人件費の削減以外にはない。所定の人数の確保が出来ているかのチェックや所定の技能を有する人員の配置がなされているかのチェック、系列会社への再委託については歯止めがないことも憂慮され、業務の質についての管理が問われる。日常点検、週点検、四半期での点検などのモニタリングをするとしているが、管理者としての能力が問われる。また、入札時に技術レベルの判定能力が落ちないかが懸念される。
松山市が水道事業を事業化するのではないかと言うことで、他の自治体の問い合わせや企業の調査があったという。
16日 午前 高松市丸亀商店街振興組合
目的 市街地中心商店街活性化についての調査。
1、再開発事業にいたる経緯
丸亀商店街が形成されたのは420年前の1588年に丸亀から高松へ城を移したときに城主が丸亀の商人を引き連れて来たことに始まる。その後城下町の商店街として発展し、近年まで四国400万人を商圏に持つと言われるように繁栄してきたが、高度成長の終焉と共に衰退し始めた。
衰退してきた原因として
①高度成長期が終わり、何もしなくても売れてた時代から郊外型店舗が出来売れなくなったとともに店舗の入れ替わりがなく、新陳代謝が進まず魅力がなくなった。ここでしか買えないものがなくなり売り上げが落ちる、しかしやめるにやめられず悪循環に陥っていた。
②商店街に住む事業者が激減した
1000人ほどいた住民が調査時には75人まで減っていた。原因はバブルにより地価が高騰して住めなくなった。駐車場の例を取ると、こどもが成人して自動車を購入すると駐車台数が増え負担が増え郊外に住むようになった。
③業種に偏り街に魅力がなくなった
元々ファッショ系の商店が多く、飲食関係の店がなかった。そのため夜になると人通りがなくなっていた。商店の入れ替わりもなく、悪循環に陥っていた。
2、再生に向けて
丸亀商店街振興組合として再生に取り組むことにした。コンセプトは単なる商店街の活性化ではなく、「まちづくり」としての商店街の再生を目指すものである。解決の3つのポイントとして
①土地問題の解決し、業種のベストミックス実現のためのコントロール
定期借地権として振興組合が一括管理することで土地の所有と利用を分離し、振興組合が業種の構成についてコントロールし、必要な業種を必要なときに入店させ商店街を活性化する。
新陳代謝が進まない理由に融資先との関係で廃業できない商店主もおり、廃業しても地代で借入返済が出来る仕組みを作ることで安心して事業に参加できるようにする。商店主に地主としての視点に転換してもらう。
②住居者を取り戻し、コンパクトシティを目指す
商店街に住居を併設し住民を取り戻すと共に、高齢者や障がいがある方に便利な中心街に住んでもらう。都市機能を集積し、利便性と市民が集う賑わいを作る。そのために医療、介護、食品など日常生活が歩いて行ける範囲で充足できる環境を整備し、市民が利用できる施設を設置。商店街振興組合として子育ての環境整備を行うことで周辺のマンション開発おいても連動して面的なコンパクトシティとして発展させる。また、食品関係の店を誘致し、地産地消を進める。
③地域ブランドを作る
ここでしか買えないものを作る。大学などと連携して地元のデザイナーやアーティストを育て、商品開発を行う。かっては仕立屋や靴職人など製造販売がメインであったものが次第に既製品を扱うようになり、大型郊外店などの展開で魅力を失ってきた。
3、事業展開 「歳とれば丸亀商店街に住みたい」と言われる街を目指す
丸亀商店街振興組合は組合員104名、157店舗で構成。エリアは470m、A~G街区の7街区で構成されている。振興策として地権者の1/2の同意を持って再開発を希望する先着2街区について振興組合がサポートするとして呼びかけ、A街区とG街区が名乗りを上げ、事業が始まった。 2005年から始まり、A街区は2006年12月竣工、翌2007年から営業を始めた。G街区はエリアが広いため2012年4月竣工、営業開始となっている。B・C街区については合意がとれたところから小規模な再開発が行われ、それぞれ2009年5月、2009年10月に竣工、営業が始まった。D・E街区は2015年着工を目標に検討中。
A街区には直径25mの広場つくられ,天井はドームとなっている。この広場は様々にイベントが行われ、市民に開放されている。またこの街区には200席の市民ホールやカルチャー教室も設置され、市民の様々な活動に使われている。 B街区は丸亀商店街にはなかった飲食店が中心に入居、そのため夜間にも人通りが出来た。C街区はライフスタイル提案型の店舗と医療施設を配置。Gがいくは食費関係のスーパー導入を検討中。既にイベントしての産直市場が開催されているが、常設の市場を検討中。
また、地域ブランド製品開拓のための職人の入居を募集している。既に手作りの靴職人が入居している。振興会としてブースを用意し募っている。地域の大学と連携し、地元のデザイナーやアーティストを育て、地域ブランドの開拓を進めている。
市民との連携として、当初商店街の若手が中心にイベントを企画していたが、集客が出来ても売り上げが上がらないことから、本業中心の動きとなった。振興組合ではまちづくり株式会社を作り、市民をサポートして様々なイベントを開催するようにした。まちづくり会社には高松市が5%出資、三セクのメリットを生かしている。また、商店街と高松駅を結ぶコミュニティバスも運行しており、商店街に隣接する三越デパートともクリスマスイベントを共同開催するなどの連携、地域の老人会とも清掃や駐車場管理を委託するなどの連携する事業を行っている。医療機関は振興組合が場所を確保して誘致し、訪問医療も行っている。(地元出身の自治医大の先生が来た)
居住区はA街区は47戸、B街区は40戸,G街区は96戸が作られている。高齢者も障がいがある方も住みやすい街を目指している。間取りは自由にすることができるようになっており、全戸て売れた。丸亀商店街で住宅販売がスムースにいったことで、周辺での住宅開発も影響を受けているとのこと。面としてのコンパクトシティへ一歩進んでいると思われる。
事業は街区ごとの独立採算で行い、全体を振興組合が統括している。イベントやコミュニティバスなどは赤字であるが、振興組合が所有する駐車場の利益(売り上げ3億円、地代等を差し引いた収益2億円)を当てている。
再開発事業の伸展で、今年のゴールデンウィークは丸亀商店街への人の流れは3万4千人を数えた。これはこれまで年末にしか見られなかった光景で、週末の人の流れは増えている。しかし、A街区では竣工誤5年を経て売り上げは徐々に減っており、その原因の一つは瀬戸大橋が出来バスで神戸の三宮まで直通で行けるようになったことがある。しかし、少子化、平均賃金の減少と取り巻く環境が厳しくなっていることが大きい。
再開発法100条による権利者の100%同意の再開発事業は奇跡ではないかと言われるが、決して奇跡ではないと言っている。事業について「やる気」ではなく「本気」であること、そして地域のコミュニティを大事にしてきたことが事業を成功させていると言われた。まだ事業は道半ばで、20年をかけて理想を実現させてと語っている。
まとめ
丸亀商店街の挑戦は将来に向けたまちづくりとして夢と希望が持てるものである。単なる商店街活性化でなく、地域コミュティの形成を図り、コンパクトシティを目指すという明確な方向性があることにある。それを実現させるための構想力と、土地所有と利用の分離という定期借地権を活用し土地利用形態を変えたことにある。福岡市の香椎再開発など再開発地区にとって学ぶべきものが多い。