鞆の浦埋め立て差し止め訴訟勝訴と人工島

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 10月1日、広島県福山市の鞆の浦埋立訴訟は住民勝訴の地裁判決が出ました。歴史的景観を保護すべき価値として認める画期的判決です。これまで公共事業が経済性を優先し(人工島必ずしも経済性があるものばかりではないが)、自然環境や景観など貨幣価値に換算できない価値が無視され続けてきました。今回の判決は、従来の公共事業の在り方の見直しを迫るものといえます。最高裁判例でも「景観の価値」が認めれれており、我が国における景観法策定、世界遺産指定の動きなど、都市景観や歴史的景観の価値、自然環境などこれまで認められなかったものが定着する動きといえます。

 翻って福岡市の現状はどうでしょうか。博多湾人工島建設はまさに環境破壊、自然破壊ですが、未だその反省はなされたいません。埋立事業そのものが既に破綻しているにもかかわらず、多額な税金を注ぎ込み破壊を続けているのです。まだ埋立が終わっていない人工島の擬似干潟には70羽ほどのクロツラヘラサギが飛来し、世界でも指折りのクロツラヘラサギの飛来地であるにもかかわらず、福岡市はクロツラヘラサギの保護をしようとはしていないのです。ムダな税金を投入することは止め、福岡市の都市の魅了を高める為にも、埋立がまだ終わっていない所は湿地として保全し、自然を復元させるべきです。「人工島がこれまで埋立が終わったのだから今更やめられない」という理屈は博打に負けて追い銭をかけ更に負けが膨らむことと同じです。誤りを認め、そこから最善の策を見いだすべきです。そのためにも、市民の声が反映できる仕組みが必要です。

 都市政策についても福岡市は貧相な発想でしかありません。言葉では景観形成を謳っていますが、長期的なグランドデザインがありません。場当たり的な景観形成は、臨海部や都心部の魅力のなさに端的に表れています。歴史的景観形成の視点がない、オープンスペースが少ない、緑がすくない、路地裏の発想がない、海や山や農地など多様な自然を生かす発想がない、ないない尽くしの象徴が人工島です。