粉飾人工島
山崎市長は「引き返す勇気を持って見直しをする」と公約し、市民の支持を得て市長に当選した。翌年人工島を点検したが、従来通りの事業で黒字となると点検結果を発表。しかし、地価は下落し続け、国内産業の空洞化、デフレ経済とバブル経済破綻から立ち直ることなく既に経済状況は大きく変わっていた。少子・高齢化社会到来が急速に進み、経済状況も構造的に変化しているにもかかわらず、点検したこの時点からバラ色の夢を振りまき、粉飾は始まっていた。まさに市長の背任行為である。以下、経過を記した。
①1998年(平成10年)11月 「引き返す勇気を持って見直しをする」という公約で山崎市長は
前桑原市長を破り新市長となる。
②1999年(平成11年)1月 10大プロジェクト見直しを始める
庁内で事業点検プロジェクトチームを設置
博多港開発 200億円の赤字となるという見通しをチームに出す
点検チームの指示で博多港開発は16億円の黒字の見通しに修正
点検チームは再修正を指示、博多港開発43億円の黒字の見通しに修正
③1999年(平成11年)12月 点検結果を公表
人工島は事業期間を10年延ばせば従来通り黒字になる
④2000年(平成12年)3月 日本興業銀行融資を拒否
このまま事業を続けると100億円の赤字になるおそれがあるとして「福岡市が補填しない
限り融資を中止する」と融資を拒否
新生銀行、あおぞら銀行、鹿児島銀行が融資をやめる
⑤2001年(平成13年)3月 福岡市は福岡銀行および日本興業銀行に念書を出す。
「万一、(博多港開発が)経営困難な事態を招いたときには、本市の責任において本事業を
遂行し、貴行に損害を与えないことを確約します。」
⑥2001年(平成13年)12月28日 福岡市は銀行団に新計画を説明
土地張り付き約定返済、博多港開発への200億円の緊急貸付枠の予算化、30億円の増資
⑦2002年(平成14年)3月 新計画議会で承認
⑧2002年(平成14年) 福岡市公園用地購入(126億円)
道路を福岡市の公共事業として整備
下水道を福岡市が整備
住宅供給公社に住宅地を購入させる
(市が銀行に150億円の損失補償)
⑨2002年(平成14年)8月 銀行は第1工区全てに根抵当権を設定
⑩2002年(平成14年)11月 山崎市長再選
⑪2002年(平成14年)11月 ケヤキ・庭石事件発覚
⑫2003年(平成15年)5月 福岡市志岐前社長らを告訴
⑬2003年(平成15年)5月 福岡市博多港開発に45億円の緊急貸付
翌年3月にも42億円の緊急貸付、計87億円を貸付
(地価が計画通りの価格で売れなかったため)
⑭2003年(平成15年)9月 宮崎駿監督を利用した「照葉プロジェクト」発表
11月に宮崎駿監督の拒否で「照葉プロジェクト」破綻
⑮2004年(平成16年)6月 積水ハウスグループに市住宅供給公社は住宅地を転売
(戸建て住宅用地3万円/㎡、平均7万円/㎡)
⑯2004年(平成16年)9月 教育委員会が小中学校用地取得を議会提出、可決
翌年2月に43億円(107,500円/㎡)で購入
⑰2004年(平静16年)10月 ケヤキ・庭石裁判始まる
⑱2005年(平成17年)2月 人工島直轄化、396億円で埋立権を購入
⑲2005年(平成17年)7月 人工島へ新病院移転のパブリックコメント募集
病院用地5㌶67億円(130,000円/㎡)
⑳2005年(平成17年)9月 緑化フェア
人工島の土地を宣伝するためのまつり
総事業費45億円、内30億円を福岡市が負担
その他 人工島へ青果市場を統合して移転させる計画が進んでいる。またアジアビジネス街も福岡市が建物を建築し企業を誘致するなど、次々と人工島の土地を市が買い取り市の施設を作ることになると思われる。これらは全て銀行に対する損失補償である。